こんにちは。
はじめまして。なるほどと申します。
大阪の小さなデザイン制作会社で
グラフィックデザイナーをしています。
現在は、会社勤めをしながら副業でネットビジネスにて収入を得て、
生計を立て暮らしています。
家庭は、妻と子供達とネコの家族5人と1匹で、いつもにぎやかにやってます (o^ω^o)
Prologue/デザイナーになるまで
大阪在住ですが、生まれは茨城県の山奥(自然豊かな田舎 ^_^;)です。
2歳のときに父親が病死し、母親が女手ひとつで、
私達兄弟(弟と二人兄弟です)を育ててくれました。
なんとか食べるには困らずに暮らしていましたが、
貧しい生活だったですね。母親も苦労したと思います。
その当時はそんな事は、これっぽっちも分かってなかったですね・・
今、自分自身が親となって初めて、その苦労が分かるようになりました。
パートで一日働いて、帰ってから家事と子供の面倒を見る・・
毎日毎日、一人で大変なことだった思います。
ほんとに、ここまで育ててくれた事に感謝です。
当時、子供だった私は、そんな苦労もまったく理解してませんでした。
親の心子知らずとは、よく言ったものです。まさにこの事ですね。
おとなしい性格で、絵を描くのが好きな子供でした。
町の図画コンクールにも入選したこ事もあるんですよ(笑)
それが高じて、中学・高校生のころは漫画やアニメに没頭しました。
見るのも、描くのも好きでしたね。漫画同人誌なんてのも作った事があります。
いわゆる「オタク」というヤツです!
オタクという言葉が出てきたのも、この時代ですねー。
そんな漫画・アニメ漬けの学生時代を過ごし、
絵を描くのも好きだった私は、漠然とではありますが
将来はなにか描いたり、つくる仕事に就きたいと思っていました。
高校卒業後は、デザインの専門学校へ進学を決め、東京へ上京。
そして専門学校を卒業後は、なんと京都へ引越すことになります。
その時は、ぼんやりクリエイティブな仕事がしたいと思うだけで、
なにをしたら良いかもわからず、そしてちゃんとした努力もせず、
毎日楽しく暮らせたらいいや!ぐらいにしか考えてませんでした。
本当にアホで、子供でした。(笑)
ただ、好奇心は旺盛で、社会に出て見るもの触れるもの全てが
刺激的で、とても楽しい時代でした。
京都に移住してからは、転々とフリーター生活を送ります。
いろんな仕事をしましたね。
ファーストフード店やピザの宅配、うどん屋さんでも働きました。
当時のディスコ(笑)マハラジャでウェイターなんかもしてました。
変わったところでは、遺跡の発掘調査の手伝いとかもありました。
土地柄といいますか、京都は工事現場とかで地面を掘ると、
すぐ遺跡とかが出てきてしまうんですねー(笑)
この頃は、バブル経済、そしてバルブ崩壊直後という時代で、
景気も今比べれば、だいぶいい時でした。
なにかしら仕事はありましたし、働いていれば食うには困ることもありませんでした。
そんな社会のことなんて、これっぽっちも気にしてませんでしたけどね、当時は。
そして、服地の染色プリントの会社で正社員として勤めるようになります。
ここでは、上司や同僚に恵まれ、仕事もおぼえて、そこそこ充実した生活でした。
しかし、20代も後半に入ってから、やはりクリエイティブな仕事に就きたい!
そう一念発起して、グラフィックデザイナーを目指す事になりました。
その後、会社を退社して転職が決まる前に・・
現在の奥さんと入籍・結婚をすることに!!! ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚♪
結婚を機に、大阪に引っ越し、そこで初めてデザイン会社に入社できました。
そして今に至るのですが、これだけ読むと何かすごく簡単に
転職できたみたいに見えますね(笑)
本当は、すごい紆余曲折を経て、やっとの思いで転職したのですが・・
それだけでも、かなり長い話になりますので (^_^;A
またの機会に譲りたいと思います。
First section/デザイナーになってから
そして、やっとデザイナーとして働きだしました。
最初は、駆け出しでペーペーからのスタートです。
しかし、目標の仕事で働けることが嬉しくて、一心不乱に働きましたね。
忙しくても、キツクても、ぜんぜん苦になりませんでした。
ちなみに私が普段しているデザインの仕事は、
グラフィックデザイン、主にチラシやパンフなどの印刷物のデザイン制作です。
で、このデザイン業界っていうのも、今でいう“ブラック”な業界でした。
時間が長い、キツイ、そして最初は給料も安いですしね。
長時間残業や徹夜、休日出勤も当たり前のような状態でした。
(全ての制作会社がそうとは言いませんが・・私のまわりはそんな感じでした)
それでもまだ、不景気だ不景気だと言うわりには、仕事も入ってきましたし、
やったら、やった分ぐらいは売り上げも上がってましたので、
現在に比べれは、全然問題ないような状態でした。
そんな中でバタバタと働きながら、仕事をこなし、キャリアを積んでいき、
会社でも中堅として仕事をこなし、収入もそこそこ上がり、
裕福とはいいませんが、普通に暮らして家族を養えるようにはなっていました。
その間に、我が家では子供が生まれ、マンションも購入して
忙しくも、にぎやかで充実した生活をおくっていました。
この時は、仕事も家庭も順調で、
ずっとこのまま幸せに暮らせるものだと信じ切ってましたね。
それが幻想だとも知らずに・・
そして、その時はいきなりやって来ました・・
勤めて10年目になる、その会社の倒産です。
ほんとにいきなりでした。
12月の年末の仕事納めの日、社員全員で大掃除していました。
そして、掃除のおわるころ、社長がみんなに話があるから集まってくれと。
今月いっぱいで、我が社は倒産だと・・
今考えても、ひどい話です。
社員のあずかり知らないところでの負債のためだと、後になって知りました。
売り上げも悪くはなっていましたが、直接原因ではなかったようです。
この倒産の前年には、あのリーマンショックがあったときでした。
その影響も少なからずあったのではないかと思います。
今となっては、知りようもないことですが・・
たしかに、話を聞いた時は、驚きとショックも受けましたが、
その時はそんなに深刻には考えていませんでした。
また、どこかの会社に勤めればいいだろうと・・
これもまた、浅はかだったことを後になって、思い知らされることになります。
倒産から、現在の会社に落ち着くまで約3年間は、本当に大変でした。
世の中の厳しさや、自分の力の無さを、いやというほど味わいます。
本当に景気が悪くなってることが、この時はじめて実感できました。
うちの会社に限らず、同じ業界のなかで倒産や、業務縮小による
リストラの話が次々と聞こえてきました。
特にデザイン制作、印刷関連はひどい落ち込みようでしたね。
お客様となる様々なクライアントの会社自体も、売り上げが落ち、
経営改善のための見直しなどで、まっさきに広告宣伝費は削減されてしまいます。
ですから、中小の制作・印刷会社は大変苦しく、経営難に陥っていった時期でした。
そんな中での再就職・・・簡単なわけがありません。
ただ、最初の再就職先は、人づてで紹介してもらい、
失業後すぐに働けるようになったなのですが・・
これがとんでもない、ブラックな会社でした。
一人の人間に、とんでもない量の仕事を課すような会社でした。
もともと、このデザイナーという商売はキツイのは知ってはいたつもりですが・・
ここは、もう常識の範疇をこえてましたね。
しかも、私は10数年のキャリアを持つベテランデザイナーとして迎えられたので、
もう、初日から手加減なしです!
え?こんなに一人でさばくの?驚きもしたのですが、
せっかく、紹介してもらった会社です。
この不景気に働かせてもらえるだけでも、ありがたい事だと必死に頑張りました。
しかしながら、30歳も後半のわたしには、さすがにキツ過ぎ・・
半年で辞めざるをえなくなりました・・
最後の2ヶ月なんて、もう一日の睡眠時間が2~3時間でしたね。
徹夜で仕事をこなして、始発電車で帰宅して、
2~3時間寝て、すぐ出社して仕事をしてました。
いま考えてもゾッとします・・よく生きてたなっと・・
まあ、さすがに危険を感じて、辞めることにしたわけですが(笑)
で、また失業してしまい、今度は職業安定所、今はハローワークって言うんですね。
ここで失業の手続きと、つぎの就職先をを探すことにしました。
またここで驚いたのですが、
すごい人なんです!こんなにもいるのか、失業者!素直に驚きましたね。
私の行ったハローワークのフロアって、結構広いのですが、
そこにびっしりと人がいるわけですよ、窓口で相談するにも順番待ちです。
それに今では、求人情報とか閲覧するのもパソコンで見れるようになってまして、
それが100台ぐらいあって、席がズラーッと並んでいるのですが、
これもかなり待ち時間がありました。
そして、中・高年の求職者の多さにも驚きました。
みんな、私と同じように会社が倒産したり、リストラにあったような人達でした。
私もそのひとりなわけで・・なんだかみじめな気分になって帰ったものです。
中・高年の再就職はかなり厳しくなってます。
今までのキャリアを生かそうにも、求人自体が少ないのです。
そして、あったとしても、提示している給料がものすごく安い!
もう、ひどいところでは、以前の半分ぐらいの額でした。
でも、失業中は無収入なわけですから、とにかく働きたい!
どこでもいいから、会社に入らなければ。
そんな思いで、就職活動をはじめました。
ここでまた苦労することになります。
とにかく、どこも雇ってくれないのです。
履歴書を送っても、面接すらしてもらえない会社ばかりでした。
この時は、200社以上、履歴書を送ったにもかかわらず、
面接にこぎつけれたのは10数社でした。
その面接にしても、決して条件のいい会社なわけではないのに、
老若男女問わず、何十人も応募者を面接している状況でした。
やはり、その中では妻子持ちの中年男が採用されるのは難しです。
いくらキャリアや実績があっても、人件費がかかるという理由で採用されません。
このご時世ですから、雇用する側の会社も、経営が楽なところなどないですし、
健康保険や厚生年金、各種手当等、人件費のかかる人間は雇いづらいわけです。
そんな中でもなんとか、採用してくれるという会社もありました。
しかし、そういう会社は総じて、給料が激安(笑)です・・
独身の若い子でも、これでは割があわん!っと逃げてしまうような会社ばかりです!
でも、もうそんなところしか、採用してくれるところがないわけです・・
とにかく、無職状態を脱したい一心で、そんな会社に勤めることにしました。
まあ、案の定というか、わかってはいた事ですが、長続きするわけがありません・・
そんな会社を2社、転々とし、さらにその合間の求職期間中は
無収入というわけにはいきませんから、アルバイトもしました。
夜勤のある工場や、宅配会社の配送センターの仕分けなど、いろいろやりました。
この年になって、まさか自給8~900円で働くことになるとは・・
一日働いても一万円にもならない。本当に情けなかったです。
そして恐ろしかったです。このままだったら、どうなってしまうのだろうと。
さらに、周りにもいっぱいいるわけすよ、私と同じぐらいか、もっと上の年代の方が。
同じアルバイトとして働いているのです。
やはり、倒産にあったり、経営難で自営業をたたんでしまったりと様々ですが、
安い賃金で、肉体労働をしていました。みなさん食うために必死でしたね。
そして現在の勤めている会社に至ることになります。
ちょうど人手がいるということで、声をかけていただき、二つ返事で決めました。
なんといっても、もともとの本業のデザイン制作の仕事でしたし、
私の家庭の事も考えて、前2社よりは高い給料を提示してくれました。
しかし、ここもこの業界の例にもれず、労働時間は長いんですがね・・
でも、徹夜とかまではしなくて済んでます。
そこまで、こなす仕事も無い状況でした。
あまり儲かっている会社というわけではありませんので、
ボーナスもでませんし、給料もある程度はいただけましたが、
倒産、失業以前に比べれば、10万円近く下がっています。
しかも、ここ数年の再就職難民生活で、かなり借金もしています。
贅沢をしなくても、生活するだけでもお金はかかります。
失業して、収入がなくても最低限いる費用は、工面しなければ生きていけません。
住宅ローンもあれば、教育費、子供たちだって育ち盛りです。
食費だってバカになりません!
今の収入では、これらをまかないきれず・・今までの借金も返していけません。
今すぐに路頭に迷うわけではありませんが、ジワジワと生活が苦しくなっていきました。
このままでは、マズイ!いずれ破綻してしまいます。
そう考え、土日の休みの日にアルバイトを始めました。
もともと、昔の知り合いとかからは、本業のデザインの端仕事をプライベートで
受けたりはしてましたが、小遣い程度の金額でしたし、たまにしかありませんしね。
すぐに入れる都合のいいアルバイトとなると、日雇いの肉体労働系しかありませんでした。
これがまた、賃金が安い!まともな保証もなく、交通費もほとんど出ません。
一日、こき使われて一万円も稼げず、7~9千円ぐらいにしかならないのです。
これでは、さすがに体が持ちません。
若い時なら平気だったことも、40代のオヤジにはシンドかったです。
情けない話ですが、年をとるごとに、エグルように体力が落ちてました。
本当なら、体を鍛えて、運動不足を解消していきたいところですが・・
頑張っても、頑張っても思うように稼げず、このままでは破綻するのを待つばかりの状況でした。
先の見通しも立たず、何をしたら良いかもわからない・・・
それでも一応、会社員ですから、毎日出勤して働かなければなりません。
その会社だって、いつどうなるかわからないのです。
不安や恐怖で、頭がおかしくなりそうでした。
自殺なんて考えたこともなかったのですし、
自殺する人の気がしれないと、ずっと思ってました。
死ぬほど辛いことを抱え、最後に死ぬことを選ぶ人の気持ちなんて・・
到底理解できない。そう考える方の人間だったのですが・・
しかし、その時は、その気持ちも分からないでもないな・・っと思えてしまいました。
いくら働いても好転せず、徐々に破綻に向かっているのを止められない・・
少なくとも、私が死んでしまっても、一応ひととおり保険はかけてありますから、
住宅ローンもチャラになりますし、しばらくは生命保険もおりるでしょうから、
即座に、家族が路頭に迷うようなことにはならないでしょう・・
私が生きているより、ずっといいのではないか?
このままでは家族に貧しい生活しか、我慢ばかりの暮らししかさせてあげられない・・
こんなに辛いのなら、逃げてしまいたい・・
そんな、恐ろしい考えが、頭を過ることもありした。
その時の精神状態を思い出すと、ゾッとします。
Second section/ネットビジネスに出会う
そんな日々を過ごしていたある日、ある記事が目に入りました。
たまたま見かけたフェイスブックでの投稿の記事でした。
その当時、私はフェイスブックのアカウントは持ってましたが、まったく使用しておらず
登録してある友達も10人でした。(笑)
その記事にはこうありました。
「フェイスブックで副収入!資金0円、経験ナシでも稼げる!」と・・
これは?と思い、読んでみると、フェイスブックを使ったアフィリエイトで
簡単に収入を得られるという内容でした。
アフィリエイト?何それ?
この使ってないフェイスブックでお金が稼げるの?
まさかー、そんなことって・・
でも、これがいいきっかけになりました。
いろいろと調べてみると、ネットビジネスに関する情報がたくさん出てきます。
100万200万円はあたりまえ、年収数億円ー!とか、
ものすごい情報が、出るわ出るわ(笑)
ネットビジネスってこんなに儲かるの?ホンマ?
そういや、テレビで秒速で一億とかって、人が出てたような・・
これのことだったのか!!
しかし、この時は胡散臭いなーっとは思いましたが、
100万とはいいません。せめて、5万10万円でいいの
副業で稼ぐことができるのなら・・
そのときは、ワラをもつかむ思いでした。
そうしてこの道に入り、会社勤めの傍らネットビジネスで副収入を得て、生計を立てています。
ま、ここまでの間にも、いろいろあるのですが(笑)
でも、何もせぬまま終わってしまぐらいなら、試してみようと
一歩踏み出せたことが大きかったと思います。
正直、ネットビジネスの中には胡散臭い、詐欺まがいの話もたくさんあります。
でも、正しいやり方・情報で、正しい努力をすれば、
ちゃんと稼ぐことができるのも事実です。
いまこの世の中では、普通にちゃんと働いても、
普通に暮らしていけない事が、なんと多い事か・・
しかも、その勤めている会社だって、将来どうなるか分かったものではありません。
いつ、いきなり、会社の都合で倒産や、リストラにあうかわからないのです。
私自身も倒産にあい、失業し、大きな借金に苦しみました。
そして、自殺することさえ頭を過るほど、悩み苦しみました。
これも、会社に勤めること、デザインの仕事しか知らなかったから起きたようなものです。
あの時、ちょっとでも今の情報・知識があれば、そんなひどい事にはならなかったはずです。
ひとつの事に頼り切ってしまうことが、どれほど危ういものか。
そのリスクをちょっとでも分散するために、副業などの収入源を確保しておくことは
大事なことだと思います。
私は自分の身をもってその事を思い知りました。
そして、その過程のなかで、様々な職場、会社を見てきました。
その中には、私と同じように職を失い、家族をかかえ、苦しんでる人たちがいました。
アルバイトの同僚や、会社の同僚、またはハローワークに求職にくる人々・・
給料ではたりない生活費を、いきなり会社が倒産しても収入を得る方法を、
そんな何百万円なんて大金でなくても、普通の生活ができるレベルのお金を手に入れる・・
そうすれば、子供の誕生日にたった数千円のオモチャを我慢させなくもいい・・
子供に好きな習い事をさせることだってできます。
結婚記念日に花束とプレゼントのひとつも買って、帰ることができます。
家族みんなで休日に、遊園地に遊びに行くことも躊躇わなくもよくなります。
こんな、普通と思われていることが、できない人がたくさんいます。
十年、二十年勤め、仕事を憶え、キャリアを積んだ方でも、
会社の先行きひとつで、そうなってしまうのです。
私もまさに、その一人でした。
しかし、知識と情報、そして正しい努力ができれば、
そんな思いをしなくてもいいのです!
会社勤めだけが、人生の全てではないことを、いろいろな道があることを、
サラリーマンとして働いてる方に、少しでも知ってほしいと思います。
そして、そんな人たちの一助になれば・・きっかけになれればと思い、
ここで私の知っている限りの情報・手法、またはネットビジネスに関する
知識をお伝えしようと思っています。
ここでは、ネットビジネス初心者のための記事を掲載しています。
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